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Manzanar、 強制収容所、 そして米軍日系人兵士たち
雪化粧をしたシエラネバダ山脈を背後に、群青色の空に白い色を映えさせ
ピンと背筋を伸ばすかのように建っているのは...一つの慰霊塔。

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ご覧の通り、日本語である。
そしてここは、もちろんアメリカ。


裏側に回ってみると...

千九百四十三年八月 満座那日本人建之  

とある。

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満座那...それはManzanar(マンザナー・もしくはマンザナール)。 

山脈に囲まれ、あたりには何もない、乾燥しきった砂漠。
気温が氷点下にもなる冬は(砂漠地帯が常に暑いというわけではない)
目を開けていられないほどの砂嵐が吹き荒れ、夏は40℃に達する灼熱の土地。

ここ、マンザナーには、戦中に日本人及び日系人が
日本人の血が流れているというだけで送りこまれた、強制収容所があった。



今日は、ブログ記事としてはかなり堅い内容です。
こんな記事、面白くもなんともない...と思う人もいることでしょう。

けれど、ほんの少しでも興味を持ったら、ぜひ読んでみて欲しいと思います。

学校に行っていた頃、私は歴史の授業が大嫌いでした。
過去に起こったことを今さら知ったって、自分の人生には関係も影響もない、と考えていたように思います。

マンザナーのことも、おそらく歴史の授業の中で少しは勉強したはずだと思うのですが
授業中はノートの隅っこに落描きばかりしていた私のこと、
恥ずかしながら、詳しい内容・事情はほとんど覚えていませんでした。

名前だけは記憶にあったらしく、このあたりへの小旅行の計画を立てていたときこの名前を目にし、
「マンザナー?何だっけ?聞いたことある...」と思う程度からのスタートでした。

歴史の授業なんてつまらないと、当時は教科書さえもまともに読まなかった私が、
今回改めて興味を抱き、ネット上でいろいろと調べた内容を簡単にまとめたのが今日の記事です。

いつもに増して長い記事となりましたが、時間があって、
続きを読んでくださるという方、↓をクリックでどうぞ。








第一部 開戦と強制収容所


1941年12月7日(現地時間)、日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃した。

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このニュースは直ちに全米を駆け巡り、
翌日には日本人への蔑称である「ジャップ」という言葉が新聞のトップを飾る。

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それまでにも、真面目で勤勉、低賃金で一生懸命に働く日系移民に対して、自分たちの仕事が盗られてしまうのではないか...と彼らの存在を疎ましく感じるアメリカ人は少なくなかったという。(現在はメキシコ系の住民に対して似たような感情を持つ白人が少なくない)

そういったアメリカ人の「反日系人」感情に、この真珠湾奇襲は拍車をかけた。
アメリカ国民の間には、またたくまに日本人、日系人へ対する憎悪が広がった。

そして、当時12万人いたといわれる、在米日本人およびに日系人は、
米国にとって危険な存在」として、次々に検挙され始める。
(開戦後4日目で1291人が検挙)



「日本人狩り」の始まりであった。





1942年2月。
ルーズベルト大統領は「大統領令9066号」に署名。

これは、西海岸に住む日本人及びに日系人を、裁判や公聴会なしに「一時的に移転させる」権利を陸軍に託すというもので、早い話、スパイである可能性も含む「危険な」日本人と日系人を、排斥、隔離そして監視せよ...ということである。

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日本で生まれ、アメリカにやってきた日本人だけではない。
8分の1以上の日本人の血が混ざっていれば、「危険な」日本人とみなされた。
当時の日系人126,000人のうち、110,000人がこの排斥命令の対象となり、
そのうちおよそ3分の2は、アメリカ生まれの二世たちであったという。

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日系人経営の店。私はアメリカ人である...と書かれた大きな看板が...(真珠湾奇襲から3ヵ月後)



ほんの数日間ですべての財産を手放すよう命令された彼らは、タダ同然でなんとかそれらを売り払い、または泣く泣くその場に置き去りにし、持参許可されている一人当たり二つの荷物だけを持ち、合計10ヶ所に作られた日本人収容所に運ばれた。

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収容所に送られる日系人たち。




強制収容所、というのは、実際にそこに閉じ込められた日本人が使った言葉である。
アメリカ側は、War Relocation Center(戦時転住所)と呼んでいた。
あたかもそこが、危険から住人を守ってくれる、安全な場所のようなニュアンスを含めて。

しかし、実際に送り込まれてみれば、そこは「強制収容所」以外の何物でもなかった。



"The first morning in Manzanar when I woke up and saw what Manzanar looked like, I just cried. And then I saw the high Sierra mountain, just like my native country's mountain, and I just cried, that's all" - Haruko Niwa, interned at Manzanar from 1942 until 1945" 
(マンザナーオフィシャルサイトより引用)


「マンザナーについた翌朝、目を覚まし、そこがどんな場所であるか目の当たりにし、泣きました。
私の母国の山にも似た、高くそびえるシエラネバダ山脈を見て、ただ泣くだけでした」
(1942年から1945年までをマンザナーで過ごした、ニワ・ハルコさん)










ここ、マンザナーに最初に送られた日系人は8828人。(その後1万人強まで増える)

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約2.6平方キロメートルの荒れた土地を囲む有刺鉄線。

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そこに建てられた、たくさんの小さく狭いバラック小屋。

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隙間だらけのバラック小屋には、粗末なベッドしかなく、
一家族が一つのバラック小屋に押し込まれた。



灼熱の夏には多くの人が砂漠熱で倒れ、目も開けていられないほどの砂嵐が襲ってくる冬。
サソリや蛇に脅えつつも、ここからは一歩も出られない。

四方には監視棟が建てられ、番兵が持つ銃は、常に収容所の中に向けられていた。

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水道や電気の供給はあったものの、基本的には自給自足であったという。

当時より働き者として知られていた日本人に日系人のこと。
彼らは荒地を耕して畑を作り、農作物を植え、みすぼらしいバラックの周りに花壇や池を作り、少しでも生活環境の向上に努めた。

公会堂を建て、英語や裁縫を習う教室も作られた。

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ここには剣道道場があったのでしょうか


マンザナーでは、ナチスがユダヤ人に対して行ったような残虐な仕打ちがあったわけではない。
だったら強制収容所とはいっても快適なのではないか、と思う人もいるかもしれない。

けれどそれは違う。

想像してみて欲しい。

人里離れた砂漠の真ん中で、厳しい気候に耐えながら、縦横わずか1.6kmの、有刺鉄線で囲まれた土地で、一万人もの人たちとひしめき合って暮らさなければいけない現実。
「お前は日本人の血が混ざっているから信用できない」といわれ、この場所から一歩も出られず、24時間銃口が向けられている生活を。

特に、アメリカ生まれの二世たちにとっては、自分たちをそんな風に扱っているのは、
それまで母国と信じてきた国、アメリカである。


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収容所内の日系人たち







第二部 忠誠登録と米軍日系人部隊


************************************************
あなたは、自分を強制収容所に放り込んだ「母国」の兵士として一線に立つ覚悟ができますか
また、生まれ育った祖国を敵として、銃口を向けることができますか
************************************************








一年が過ぎた。

1943年2月、政府は収容所で暮らす日系人に、「出所許可願」とされる質問状を送ってきた。
30もの質問の中には、後々「忠誠登録」として知られることになる、二つの質問も含まれていた。


No. 27. Are you willing to serve in the Armed forces of the United States on combat duty wherever ordered?
=質問27: あなたは米軍兵士として(女性の場合、看護部隊として)従軍し、命令であればどこの任地へでも赴く意思があるか?
 


No. 28. Will you swear unqualified allegiance to the United States of America and faithfully defend the United States from any or all attack by foreign of domestic forces, and forswear any form of allegiance or obedience to the Japanese emperor, to any other foreign government, power or organization?
=質問28 あなたはアメリカ合衆国に無条件の忠誠を誓い、いかなる外国もしくは国内からの攻撃に対してもこの国を忠実に守れるか? 
また、日本国天皇やその他の外国政府・権力・組織への忠誠や恭順について、それがどんな形のものであれ否認できるか?



収容所内は大騒ぎとなった。

当時の日系一世、つまり日本で生まれ、アメリカに渡った日本人は、アメリカ市民になることができなかった。
もともと日本人の渡米というのは、農業留学である場合が多く、アメリカ市民になることが許されていない一世たち、つまり日本人らは、技術を習得した後は日本に戻ることが多かった。

いくら出所許可願とはいえ、ここで両方の質問にYESと答えた場合、故郷である日本を敵視し、それでもアメリカ人にはなれないというジレンマが生じる。

まして、天皇陛下万歳と教え込まれた世代である。
お国に背を向け、それどころか自分たちをこんな風に扱うアメリカに忠誠を誓うのは屈辱である。




しかしアメリカ生まれの日系二世以上の若者たちには、
祖国はあくまでも日本と考える親とは違う考えの持ち主が多かった。

自分たちはアメリカ人だ。

自分は決してスパイでも敵でもないと証明するには、ここで母国アメリカに忠誠を誓うのだ。
(真珠湾奇襲以来、日系人がアメリカ兵として戦地に赴きたいと志願していても、『不適正』として兵役を与えられえいなかった。つまり信用されていなかった)

しかし...もし親たちが両方の質問に対してNOと答え、自分はYESと答えた場合、
家族は引き裂かれ、親は自分の敵としなければいけないのだろうか。


さらに、日本人の血が流れているというだけで、自分をここまで侮辱した「母国・アメリカ」のために命を賭けるのは不条理であるという考えをもが二世たちに複雑な思いを抱かせた。

結局、収容所から兵士として志願した日系二世たちの数は、わずか1500人であったという。

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ところでハワイにはすでに有名な日系人部隊が存在していた。
(ハワイには日本からの移民が多すぎたため、収容所に送られることはなかった)

後に第100大隊(100th Infantry Battalion) の名称を与えられる彼らは、すでに本土に呼び寄せられて訓練を受けていた。

真珠湾攻撃以来、ハワイの日系人は脅えていた。
いつ、自分たちが、アメリカに敵扱いされるかも知れぬ。
そのためには、自分がアメリカのために命を賭けて戦う覚悟があることを証明しなければならない。

そんな思いがあったのか、この第100大隊は、当時の米兵が平均16秒かけて組み立てていた重機関銃を、なんと5秒でやってのけるという記録を出すという、優秀な部隊であった。

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↑ハワイの日系人による米軍部隊、第100大隊


そして本土では、収容所出身の800人からなる日系人兵士たちに、さらにハワイにて募集を募り、その中から「米軍兵士として適正な日系人志願者」2,600人を呼び寄せ、ここでアメリカ本土で初めての、日系人だけで構成される第442連隊(442nd Regimental Combat Team 第442連隊戦闘団とも呼ばれる)が結成された。
(ただし、将校は白人であることが条件であった)

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↑収容所からの800人をも含む、第442連隊


最初から前線に立ったわけではなかった日系人部隊ではあるが
(白人兵士の弾丸よけに使われるのではないかという政府の懸念もあったらしい)
第100大隊が先にヨーロッパへ進出。
後に続く第442連隊。
彼らは、イタリア、ドイツ、フランスにおいて戦い続けた。

もともと1300人程の第100大隊は、900人以上の死傷者を出した後、
ローマ北部のベルベデーレ戦より第442連隊に編入。
数日かかると思われていたベルベデーレ突破を、彼らはわずか3時間弱で果たす。

その後、ルーズベルト大統領直々の命令を受け、米軍白人兵たちでも助け出せなかった、ドイツにて包囲されていたテキサス兵212名の救出のために、欧米人と比べればまるで子供のように小柄な日系人による第442連隊は勇ましく出動した。

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休養をとる間もないまま、日系人兵士たちは突き進んだ。
ボージュの森で待ち伏せていたドイツ軍と激しい戦闘になったが、
彼らはバンザイと叫びながら、その勇敢な攻撃をやめなかったという。

そして、炸裂する砲弾といくつもの地雷を突破し、ついにテキサス兵らの救出に成功。
6日の間、駆け続けた第442連隊は、この救出のためだけに800人もの死傷者を出している。

この救出劇の裏にはこんな逸話もある。

救出直後、テキサス兵側のバーンズ少佐が「ジャップ部隊か」と言ったため、442部隊の一少尉が「俺たちはアメリカ陸軍442部隊だ。言い直せ!」と掴みかかり、バーンズ少佐は謝罪して敬礼したという。


そしてこの救出及び戦闘は、今ではアメリカ陸軍の十大戦闘の一つとして数えられている。

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戦場での日系人兵士たちのモットーはGo for brokeであったという。

Go for broke...当たって砕けろ...
(もともとはハワイの賭博用語だったという説アリ。つまり、『すべてを賭けろ!』)

戦場では「前線で決して後ろを振り返らない兵士」といわれた日系人部隊。

勇敢な彼らは、まさにアメリカ軍の中の特攻隊であった。

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恐れを知らない(本当は怖かったに違いないけれど...)日系人部隊は、各戦場で果敢に活躍したが、アメリカ軍の1部隊としてはもっとも多くの死傷者を出したこともまた事実である。

当時の徴兵年齢は18歳から39歳。
今の社会に当てはめれば、わずか高校生程度の少年兵も数多くいたことだろう。
負傷した日系人兵士たちが息を引き取る直前、
口から漏れてくる言葉の多くが「...お母さん...」であったという。


日系人部隊である第442連隊が授与された勲章の数は合計で18,043個、
その中の9,486個はPurple Heart(名誉負傷勲章)であるため、
彼らはPurple Heart Battalion(名誉戦傷戦闘団)とも呼ばれていた。


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←1782年、ジョージ・ワシントンによって制定された名誉負傷勲章。

戦闘によって負傷したアメリカ合衆国軍兵士に対して与えられる。

しかしながら日系人部隊の中で最高勲章は一人だけであった。
(ドイツ兵が投げた手榴弾から2人の戦友の命を救うために、その手榴弾を体で覆ったことにより爆死した、カリフォルニア出身のサダオ・ムネモリ二等兵)

これは後に差別であったとされ、終戦を迎えてから55年後の2,000年、クリントン大統領により、あらたに20名の日系人元兵士が最高勲章を授与されている。


終戦後、残りわずかになった第442連隊が本土に帰国すると、トルーマン大統領はこう告げた。
(帰還した部隊の中で、大統領から直々に受勲されたのは日系人部隊だけだった)

You fought not only the enemy, but you fought prejudice and you have won

...君たちは敵だけではなく、差別とも戦い、そして勝利したのだ。

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そうであった。

戦地に赴き、自分のアイデンティティを証明するため、文字通り命を賭けて戦った日系人部隊。
目の前にいたのは敵国の兵士かもしれないが、彼らは同時に大きな敵、差別、偏見とも戦っていたのである。



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終戦に伴い、マンザナー強制収容所は1945年11月に閉鎖された。
ここでは135名が死亡し、15名が同所に埋葬され、残りは故郷の墓地に埋葬されたという。

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そこで暮らしていた日本人、日系人の中には、閉鎖後もそこに留まりたいと申し出る人もいた。
戦争は終わったばかり。
財産も何もかもすでに失っている。

彼らには行き場がなかった。

終戦後も多くのアメリカ人の頭の中は「日本人=奇襲攻撃をかけてきた憎むべき悪者」といった思いが占めており、そんな中、世間での日本人に対する差別は当然ながら大きく、そういった差別に耐えながら生きていく不安に勝てる自信もなかったのではないだろうか。

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その後、日系人たちは必死で働き、時間をかけて評判を取り戻し、
アメリカ社会の中での執拗な差別と戦ってきた。

しかし、アメリカで日系人たちが「模範的移民」と評されるようになり、
偏見の目も減ってきたのは、終戦後15年も経った、1960年代に入ってからだったという。





差別とは、偏見とは、なんだろう。
母国、祖国の意味とはなんだろう。
社会の中での、自分の人間としてのアイデンティティとはなんだろう。

私はそんなことを考えながら生きてきたことがあっただろうか。


マンザナーを訪れる機会を持つことができて、よかった思う。

早朝に訪問したので、マンザナーの資料館は開いていなかったのだが、
いつかまた、今度はこの資料館をきちんと訪れてみようと考えている。

世の中には、知らなくても生きていけることは多い。
けれど、偶然にせよ何かを知ることにより、そこから関連するまた別の何かを知ることができる場合もあるし
そうすることでさらにいろいろなことについて考えることができる。

すでに学生でなくなった私が今回改めて思うのは、
歴史というのは、恥ずべき過去を繰り返さないためにも、
きちんと学ぶべきものであったのだ...ということであった。

マンザナーは、アメリカにとってまさに「恥ずべき過去」ではある。
しかし、こうして国定史跡として残され、戦後を生きる人たちに真実を伝えているという事実もある。
(それにはもちろん、日系人たちの陰の努力があったわけではあるが)

明日はアメリカ時間で12月7日。
真珠湾攻撃から、ちょうど67年目にあたる。



※1988年8月、レーガン大統領が強制収容に対して正式謝罪をし、その後、賠償法が成立し、生存する被収容者各人に対し2万ドルの補償と、125万ドルの教育基金が実現している。



今回は私自身が自分で勉強した内容を忘れないための記録のような記事になってしまいました。
最後まで長々とお付き合いくださったみなさん、どうもありがとうございました。




Thank you for voting!
ほんの少しでも何かを感じてくれたら...ポチっと応援ありがとう♥




★関連・参考・参照サイト:(日本語)
⇒歴史を変えた日系人の戦争
⇒日系移民の歴史
↑こちらのサイトの管理人さんには、許可を得ていくつもの部分引用をさせていただきました。
日系移民の歴史が、わかりやすい丁寧な文章で大変詳しく説明されています。
今回の記事に少しでも興味を持ってくださったかた、ぜひこちらもご覧になってください。
管理人のS.Tさん、どうもありがとうございました。

⇒日系人の強制収容(ウィキペディア)
⇒日系アメリカ人(ウィキペディア)
⇒第442連隊戦闘団(ウィキペディア)
⇒ラルフ・ローレンス・カー(当時の共和党所属の政治家、コロラド州知事。開戦後の在米日系人を擁護、そして彼らの収容に一貫して反対した人物)

(英語)
⇒マンザナー国定史跡オフィシャルHP
⇒Go For Broke National Education Center
⇒Japanese American Interment Carriculum(Especisally for students)

当時の写真はこれら各サイトより拝借しました。

★マンザナー国定史跡・地図
⇒Map

★関連映画
⇒Come see the paradise(邦題:愛と哀しみの旅路)
⇒Go For Broke!(邦題:二世部隊)
⇒American Pastime(邦題:アメリカンパスタイム 俺たちの星条旗)
⇒Snow Falling On Cedars(邦題:ヒマラヤ杉に降る雪)
⇒The cats of Mirikitani(ドキュメンタリー・邦題:ミリキタニの猫)
⇒山河燃ゆ(大河ドラマ・原作は山崎豊子の『二つの祖国』)
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