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仕事をしている会社が、つい最近オフィスの引越しをした。
今度のオフィスは一階建ての建物の一階で、外に通じるドアがやたらと多い。 先日、そんなドアの一つ、オフィスの玄関にあたるドアの横に、何かがくっついているいるのに気が付いた。 「それ」は、プラスチックでできていて、長さ15センチくらい、幅1.5センチほど。 ちょうど「カマボコ」のような、半円の筒状の物体。 左に頭をかしげる感じに、斜めになって、ドアにではなく、すぐ右側の横の壁にくっついている。 ここまで読んで「あ、それは...」と、ピンときた人はスゴイ。 だって私は、最初まったく「それ」が何なのかわからなかったから。^^; アホな私は一瞬「ドアストッパー??」などと思ってしまったのだが、そんなこと誰にもいわなくてよかった!!! 数日後、つまり何日かその「不思議なモノ」を、ドアを開けるたびに見ていて、「ハッ!!!!!」と気づいた。 この会社のオーナーって、ユダヤ教徒のイスラエル人だったんだっけ!!!! そういえばこれ、映画の中でも見たことがある... えっと...名前なんていうんだっけ、これ??? 最初は玄関のドアの横にだけつけられていたのが、今ではオフィスを取り囲むすべてのドアについている。 で、ちょっと調べてみたら...これは「メズザ(Mezuzah)」というものであるらしい。 中には聖書の1節が書かれた羊皮紙の巻物が入っているとかで、お守り的なモノなのかと思いきや、 「常に神の存在を意識するために付けるもの」であるという。 また、「ドアを通る時に、メズザにキスをする(自分の手にチュッとキスをして、その手でメズザを触ることもある)」のだとか。(うちのオーナーがそういうことをしてるのは見たことないけど...) (⇒メズザについてはこちらのサイトから引用させていただきました) 宗教とは無縁な生活をしている私のような人間が、ユダヤの神を意識するためにメズザが飾られたドアを 開けて、毎日オフィスに出入りするというのは、なかなか面白いかもしれない。^^ そんな風に、宗教と職場とは、完全に断ち切ることができないような気もするのが、アメリカの職場である。 私は無宗教と書いたけれど、キリスト教徒の友人もいれば、こんな風にユダヤ教徒の会社で働いていたり、仏教徒だというアメリカ人の知り合いもいたりと、私の周りに漂う宗教は、ある意味バラエティに富んでいる。 私自身を無理矢理に入信させようとしてくる人は困ってしまうけれど(滅多にいないが) そういうことをしてこない限り、別に友人がどんな宗教を信仰していようと気になることはない。 けれど、中には困った人もいることはいる。 今から14年ほど前、私はあるフランス人の小さなアートスタジオで働いていた。 そのフランス人、S氏もまた、ユダヤ教徒であった。 (スタジオの入り口にメズザはなかったと記憶しているけれど) 私が一緒に働いていた人たちの中に、G君がいた。 G君は俗に、「ボーンアゲイン(Born Again)」と呼ばれる"新生"キリスト教徒。 Born Againを詳しく解説しようとしても、私の知識の貧困さから到底無理なのでここでは省くとして... ⇒ウィキペディによる詳しいBorn Againの説明はこちら つまり、G君はかつてはキリスト教徒ではなかったのであるが、ある日突然熱心な信者となることにした。 すべてのBorn Againがそうではないとは理解しているが、アメリカ国内で一般的にこの「Born Again」という言葉を使って誰かを形容するとき、嘲笑めいたニュアンスが含まれていることは否定できない。 聖書の教えがすべてになってしまい、世界の中の「キリスト教徒」ではない人たちが、 どうしてこれほどまでに素晴らしいキリスト教徒にならないのか理解できない人が多いのがBorn Again。 しかも、Born Againの多くが、それまでどちらかといえば反キリスト教的体質であった場合も多く 周囲の人は、当人のいきなりの変わりようと、狂信的ともいえる信仰心にいささかおののいたりもする。 G君もなんだか怪しい過去を持っているらしく、かつては悪魔を信仰していたらしい...とのウワサもあった。 ...が、これは本人に確認したわけではないので、信憑性については私自身はよくわからない。 で、このG君が、スタジオのオーナーであるユダヤ教徒のS氏と大喧嘩をブチまかしたのである。 原因はといえば... G君が、S氏の両親(すでに他界)は地獄(Hell)にいる、 なぜなら二人はイエス・キリストの存在を信じなかったから...とほざいたから、であった。 しかも本人に向かって真正面から思いっきり断言...アホや、こいつ。 S氏だって、そこまで自分の親を侮辱されたら黙っちゃいない。 ※ユダヤ教徒は神(God)の存在は信じているが、イエス・キリストを「神の子」として認めていない。 S氏が私たちに「ユダヤの教えがいかに素晴らしく、正しいか」と説いたことは、一度たりともない。 スタジオで働いていた人の中には、私のような無宗派もいたし、仏教徒のアメリカ人女性もいた。 日曜日には教会のミサに必ず行くといったキリスト教徒の女性もいた。 けれど、宗教とはあくまでも個人のものだし、信仰の違いが険悪な空気を生んだことは皆無だった。 G君とS氏はスタジオ内に響き渡るほどの大声でディベート...というよりも、まさに「喧嘩」を展開し 私たちはといえば、最初は絶句したものの、やがて呆れはて、二人を残して家に帰ることにした。 それにしても、その翌日、G君が普通にスタジオにやってきて、普通に仕事をしている様子には驚いた。 宗教に関するディベートとは、そういうものなのだろうか?? 前日の大喧嘩などまるでなかったかのように、普通に振舞う二人が不気味であった。 いったいどうやってケリをつけたのであろうか? 係わり合いを持ちたくなかった私は何も聞かなかったものの、やっぱり謎である。 G君は絵に描いたようなBorn Againで、道端で小銭をせびるホームレスがいれば、 教会に行けばキミも救われる、自分もかつてはどん底にいたけれど、開眼してからは変わった... と延々と説教したりするヤツだった。 まあ、実際のところ、宗教を持っていない人のほうが少ないというアメリカであっても、 G君のようなタイプにはあまりお目にかからない。 (いきなり道端で話しかけてきて、教会に来ませんか?と勧誘する人はたまにいるけど...) 宗教に関する話というのは、基本的に友人間であっても、同僚との間の他愛ない会話の中であっても、 あまりにもセンシティブなトピックゆえ、タブーであると感じているアメリカ人は少なくないように思う。 さわらぬ神に祟りナシ、ではないけれど、こういったディベートに結びつく可能性が非常に高いのが、 宗教に関する会話ではないかと、私も含め、多くの人が知っているからではないか。 それにしても、ドアの横につけられた「メズザ」... 「何これ、曲がってる、真っ直ぐに直してあげよっと♪」...なんて余計なこと考えなくてホントによかった!!^^; 本日の写真は...アジサシと呼ばれる鳥。 (英名:Common Tern、 学名:Sterna hirundo) 甲高い声を上げながら、風を切ってスイスイと飛び回り、水の中に魚を見つけるといきなりダ~イブ! ダイブの瞬間は、あまりにも素早くて写真に撮れませんでした。^^; 野鳥や野生の動物を見ているといつも思うこと。 それは、ヤツラは宗教なんて持ってないよな~...ってこと。 私は別に宗教に反対はしてないし、それによって精神的に救われる人もいるのは確かなのも知っている。 けれど、動物のように生きて、動物のように死にたいとも願うゆえに、 そんな彼らの真似をしてか、無宗教&無神論をポリシーにしてしまう私なのである。^^; ↑なんとも警戒心が薄い?!アジサシくんにポチっと応援ありがとう♥ Top▲ |
by mari_ca
| 2009-06-04 15:11
| 異国文化
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